指導方針

今日ほど指導者の資質が問われている時代も珍しいといえるでしょう。特にこどもには独自の成長過程がありながら、親も教育者もついつい目先の成果に執着してしまう。現在のように忙しい時代は近視眼的になりがちです。

音楽の表現者となるには何が必要なのでしょうか?

「音楽は心で感じるもの。器楽のレッスンは、
それを具象化するためのテクニック習得の場。」
「感性と論理の同時進行」
「理論に担保された個性」

そして、これらの本質的な問題の前に、実際には反復練習という肉体的な苦痛があり、これをどう楽しみながらこなし、有意義な時間とするか。これも指導者の経験則とこどもへの理解力にかかっています。そう、こどもはそれぞれ花咲く時期が違うのです。

花咲くために必要な筋肉を育てる。神童と呼ばれる子は多い。しかし、天才として生き残る者はわずかです。再現する才能に恵まれただけでは、成立しないものがあります。模倣だけでは成長が止まってしまう。

少しずつステップアップし、都度都度咲いていく子もあれば、蕾の時期が長いものの、ある時、一気に花開く子もあるのです。こどもの成長はけして一様ではありません。一様にしてはいけないのです。音楽への答えは、こども達一人一人の中にあります。答えは必ず自身の中にあることを、知っていることが大事です。

こども達の様子を見ていると、エール大に在学中、毎夜狭い寮の部屋の中で同輩達と音楽談義をしたことを思い出します。

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___あるとき僕が「曲を完成させるためには、一つ一つ苦手な部分を丹念に習熟し、完璧にできるようにすることだ。表現に磨きをかけるのはそれからだ。」というと、ある男は「君、綺麗に音がとれてからなどと思っていたら、一生間に合わないよ。」といったのです。

これは忘れがたい一言になりました。そうです。間に合うわけがない。そして、できない箇所にばかり注目していると、すべきことを見失ってしまう。

躓く箇所というのは、言ってみれば動脈硬化のようなもの。躓きに固執し、練習すればするほど実戦が怖くなる。完璧を求めれば求めるほどに。しかし、躓きではなく、できることに注視し、進むべき道を進めば欠点というのはいつの間にか消えているものだ。越えるべき山は別の形で越えることができる。

「技術は不十分なところがあっても、感じる心があれば必ずよい演奏ができる。」

「長所を認め、伸びゆく方向に伸ばし、成長過程の個性の有り様と、花開く時期を見極める。」

それが私の最もファンダメンタルな、バイオリンを指導する上での姿勢です。

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